大学生(脱自分の殻!脱皮を目指した時代)



 いよいよ待望の独り暮らし。今までいつも誰かに頼って、誰かの陰にかくれていきてきた。希望と不安いっぱいで始まる。住まいは八王子。近くに知り合いは全くいない。

 大学はいって最初に声をかけたのが、留学生の韓国人Yさん。気が付くと回りは留学生だらけに、、、。あわてて日本人の友人もつくる。でもかれらははるかに日本人より勤勉・努力家です!

 まず日本人で仲良くなったのがI上さん。わけわからないうちに、横田基地の米軍の家庭にホームスティにつれてかれたり、、大学野球の応援につれてかれたり、、、。私の知らない世界が広まる。

 そして私の人生に大きな変化をあたえたのはよっしー。モデルのような美しさでありながら私と柔道部に入部。結構彼女の金魚のフンのようについてあるって遊びまくった時期もありました、、。当時わたしはバイト探しの電話を募集広告みながら何度もためらってたくらいだったのが、彼女はなんの躊躇もなく「かけよ!」ってかけてしまう。「やろ!」「いこ!」のその掛け声でめぐちんもだせない勇気が結構だせるようになったね。感謝!

 そうそう、柔道の話がでましたが、、、当時「YAWARA」が大ブーム。思わずのっちゃって入部しちゃいました!体育会系柔道部。でも物好きっているもんですね。他にも全く初心者!なんて女の子がいたりして、、。でもね、やっぱり柔道ってスポーツというより格闘技。練習の何一つとってもきつい。気が付けばあざだらけ。乱どりなんてほんの2,3分で精も根もつきはてられる。それだけで握力全くなくなったり、、、、。だからこそその中で相手を思いっきり投げられたら気持ちいーんだけどね。私の得意技は背負い投げ!ともろ手刈り!あと寝技は攻めも守りも得意だったかな。
入部したての夏のこと。まだ寝技もおそわってないのに、デビューしちゃいましたよ武道館!相手は国士館とか日体大とかの柔道推薦で入ってきたつわもの、、、。もう度胸は、この時はっきりいってつきました。結局公式戦で勝利はできなかったけど、お情け黒帯びゲッチュ-!試合会場で田村選手を目の前でみたよ。
 おまけに私が3年になった頃は同級生が学業に忙しく休みがちだったので、必然的に女子部の部長になっちゃいました。なーんもしなかったけど、就職活動ではかなりの武器に!

柔道photo



 まだまだチャレンジは続く。春休み、柔道の練習がなくて物足りなくて、「ケイコとマナブ」をみて体験にいったのが「マーシャルアーツダンス」。えー、内容はまずは空手とキックボクシングの基本をダンス音楽にあわせて復習。それから約束組み手やミット打ちなど本格的に基礎練習。あとはその日のよって、護身術、柔道の簡単な投げ技、、、。これまた始めて間もない頃、わけわからないうちになんと
レオタード着せられてお祭りイベントのステージにあがってました、、、。うー、私の人生の汚点。(笑)そこの先生たちはそれで芸能界デビューもくろんでたんですよ。あれからかなりたつけれど、、、彼らがデビューしたなんてきかないなー。そうそう、これまたどさくさにまぎれモデリングアナウンス?の授業を受けてしまったことも、、、。そうそう、ここでは国際化?をもくろんでなぜだかみんなニックネームで呼び合うんですよ。わたしはどうどもいいからまかせたら、、、ついたネームが「チェリー」、、。あー、恥ずかしー!

  「ガディアン・エンジェルス」。アメリカからきたボランティア。日本に支部ができて間もない頃、ただで護身術を教えてもらえるいう好奇心でしばらく通った。「他人への無関心」と否定し、「心を配り」困った人の「お世話」をするという献身的な姿勢。セーフティーパトロールなども行う、ちょっと変わったボランティア。まだ講義を受けているときはよかったけれど、実際活動が始まると自分が「自己中心」であることを実感。とても中心的に活動してる人のように自分の時間をさいてまでのめりこむことはできなかった。今でも彼らは活動している。繁華街で赤いベレー帽にトレードマークのTシャツを着ている人がいたら間違いなくガーディアン・エンジェルスです。


 八王子と言えば学生の町。、、、ってことで新聞勧誘が入れ替わり立ち代わりやってくる。そんな時めぐちんのとっておきの作戦は、子供のふりをする!年輩のおじさんはよくだまされた。おそるおそるでると、「おうちの人いる?」ってきかれる。「いません。」っておどおど答えると、「戸締り気をつけてね。」なんてやさしい言葉まで!(笑)
  それから身長の低いめぐちんはこんなこともありました。コンビにで買い物していると、足をひきづった青年がつかつかとやってきて、「あのー、笑っていいともの○○才にみえないコンテステにでてくれませんか?」という。きけば自分は怪我でこんな体になって、あなたがテレビのあのコーナーにでてくれたら自信になるというのだ、、、。そんなー。(笑)もちろん丁重にお断りしたけどね。


  わたしがある日友人と新宿アルタ前の広場で待ち合わせをしていた。少し早めについためぐちん、、、遅れている友人。わたしは花壇?のふちのようなところで座って待ってました、、、。すると、70前後のおじいちゃんが隣りに座って話しかけてきた。きけば、待ち合わせをしているのだが相手がこない、、、自分は○○映画会社で仕事をしてるんだ、、、お互い相手がこないようだし、喫茶店で話さないかという。わたしは「じき友人がくるので」とことわる。しばらくすると広場をうろちょろしてる40代の男性がいて、彼を指差しおじいちゃんが「あいつはさっきから女性に声をかけてばかりいる、気をつけろ!」という、、、っていうかあなたこそ! 友人も遅いので「電話かけにいくので失礼します!」といってわざわざ新宿地下街の公衆電話までにかけにいった、、、すると待ち合わせはアルタ前広場ではなくアルタの真下と判明、、、と思った次の瞬間、ふりかえるとなぜかさっきのおじいちゃんがすぐそばにいて、「さっきの男がついてきてる逃げなさい!」という。わたしはとにかく友人との待ち合わせ場所に走る。するとなぜかおじいちゃんもついて走る。確かにそのときあの男もいて「そのじいさんんい気をつけろ!」とどなる。いったいなんなの!? この二人ぐるなのか、どうしたいのか?わけわかない奇妙な体験でした。その後友人とあえ、事なきをえました。

  これまたある日わたしが近所のコンビニで夕食なににしよっかな、、、ってお惣菜コーナーで立ち止まっていたら、、、となりに年のころ50代後半の女性が突然話しかけてきた。「あなた、独り暮らし?どんな部屋に住んでるの? トイレは洋式?、、、」いきなりの突っ込んだ質問、、な、なんなの?としどろもどろ答えるわたし。するといきなりおばさんは身の上話をしてきた。「おばさんの住んでるところのトイレ、和式で共同で耐えられないの、、あなたの部屋をシェアさせて、家賃半分払うし、御飯もつくるし、留守番するわ!」とまくしたてる。冗談じゃなく本気で言ってるらしい、、。こ、こわすぎる。とりあえずレジに並ぶ。おばさんもあわてて自分の買うものもって隣りのレジへ、、、。その隙にわたしは買うものおいてダッシュして逃げた、背後で「あ、待って!」の叫び声。しばらくはそのコンビニに寄り付くのがこわかった、、これも奇妙な体験。

  わたしが学生時代、エステでインド式なんとか、、っていうのが大流行してました。1回でウエスト7,8センチダウンとかいうやつ。たまたま無料のチケットをもらって、ま、その当時そんな太ってたわけじゃないけどほんとにそんなに減るのか?と若気のいたりと好奇心でいっちゃいました。もちろん今後エステにいこうなんて気はさらさらない。ま、体験はマッサージみたいで気持ちよかった。でも体験後の採寸はウエスト、右太もも、左太もも合計で7,8センチ減とかで全然わかんない。そして、、、もちろんそのまま帰してくれるわけもなく、、営業が始まったわけですが、、、はっきりいってあの世界は異常です。わたしは当時柔道をやってたわけですが、「筋肉がついちゃう、、、いけません」という。「何キロやせたいですか?」というので「まあ、2,3キロ?」というと「あなたの身長だと〜、理想体重は34キロですよ!」、、、ってそれっていくらなんでも病気だよ。女性でいくら身長低くてもそこまで体重下げたらくるものもこなくなっちゃう。それをあたかもそこまでしなきゃ大変!みたいな言い方でいう。あまりにも現実離れしていて、「わたしは現状で充分だと思います!」と言って帰りました。いいお勉強でした。

 わたしは大学は外国語学部日本語学科っていうわかりにくいことを学んでました。要するに、外国人に対して日本語を直接法で教える勉強。だから、外国語学部っていっても英語なんてわたしからっきし。3年の夏、教育実習をかねて3週間海外研修にいってきました。前半はシンガポール。後半はマレーシア。マレーシアはイスラム教国。現地では、右手でカレーを食べるのが上手になりました。トイレは和式みたいのなんだけど、トイレットペーパーはなくって水道管からホースがのびてる。つまり簡易ウォシュレット。最後にホームステーもしたんだけど水シャワー、寒いし、髪の毛がパサパサになりました。もちろんカレーは辛くって、、、涙流しながら笑顔で「Good!」。ステイ先に8歳くらいの男の子がいたんだけどこの頃からレディーファースト。車のドアあけてくれるの。わたしが「トゥリマカシ」と現地の言葉でお礼を言うと照れ笑い。今ごろどうしていることか、、、。

 大学にはいって、1年目突然実家からのTEL。とうとうピースケ君が老衰で亡くなったとのこと。わたしは彼が息絶える時には、犬におそわれるのでなく寿命で!って願ってたのでまずホッとした。でも電話をきった瞬間頭が真っ白になって涙があふれた。小学5年の夏から8年間、ピー助君は確かに家族の一員でした。もう実家に帰ってもあえないなんて、、、さびしい。

 ピー助君以来、初のペットはブームにのってハム(ジャンガリアン)。ハム子育て記録はこちら。

 めぐちんの大学では2年の時から急に教職が専攻できるようなりまして、、、。教師にはむいていないと思いつつこれまたどうせなら!と専攻してしまいました。そして就職活動忙しい大学4年の時、母校の中学に教育実習へ。正直、人前に立つのが大っ嫌い、声がふるえちゃうような私がこんなことにチャレンジするのは冒険であり、ひとつのかけ、、、。しかも国語なんて指導は漠然としてるし、、、、。でも幸いなことに中学1年生で、指導担当も学年主任のベテラン。ささえられながらなんとか、、、無事おえました、、、。我ながら一つ殻をやぶったり!って感じ。学年集会なんかでも、スピーチ時間があたえられ、、、笑いをとりながらアドリブでしゃべってる自分にびっくり。でも時代の流れか、、、登校拒否児や家出とかわたしが中学の時より問題やまずみ。でも、結論!やっぱり私は教師にむいてない、、、。そうそう、中1の実習でも私が一番身長低かったんじゃないかな。(笑)

 一人暮らしのアパートは6畳とは名ばかりで、実質4畳半。しかも半畳分はロッカーが宙に浮いてる感じでその下はちょっとしかつかえない、、、。狭い、、。それでも結構みんなで鍋パーティーをしたりして8人ぐらいで闇鍋したり、、、真冬にコタツと布団1組で5人で寝たり、、、青春だねー。

 一応生活費は親の教育方針のもと、バイトしなくてもぎりぎり生活できる分の仕送りを受けてました。初バイトは社員食堂調理補助。これは残った定食をその日のお昼にできるという、、なかなかおいしい仕事だった。でも洗い物系で手はぼろぼろ。あとかなり長期でやったのは近所のゴルフ屋さんでレジと販売。販売ではお客さんの裾上げをまち針でとめるんだけど、、時々足がくっさい人がいるのよね。ゴルフのことは結局全然わかんなかったけど、社員3人あとバイトなので、いろいろまかされて楽しかったな。あとはバレンタインのチョコ売りもした。すんごいへんぴなちっちゃなスーパーに派遣され、普通に夕食のおかずを買いにきたお客さんへのチョコ売り。はっきりいって人件費の無駄!って思ったね。(笑)

 そして人生の別れ道。就職活動。うーむ。結局とった資格は日本語教員資格と中、高の第1種教員免許状。就職活動には役にたたない、、、。日本語教師は?という声もあったけど、やっぱりこれは仕事としてではなくやるんならボランティアでやりたい。教師にもむいてない気がする。事務系の仕事をしたいけど、募集は高卒か短大卒。大卒の女子の募集は営業が主、、、。日本語学科を志望してくる同級生は普通のOLなんて嫌!ってタイプの人ばかりだからみんな活動なんてしない、、、孤独な活動。漠然といくつかうけたけどうまくいかない、、、。そんな時、学生課の掲示板で「医療事務」の募集をみつける。しかも学部・学科問わず。ほんとに?と不信に思いながら説明会に参加。目からうろこ、、。これだ!って思ったね。企業のような利益追求ではなく、利益は患者さんに還元してゆく。仕事の内容的にも私にもぴったり。そうと決まったら志望動機もばっちり。あっという間に内定もらえちゃいました。でも70人に対し3人の募集。なんで私なんだろ?!別の意味でかなり不安だっけど、努力は必ず報われる!そう思えたよ。

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