高校生(ピースケ君が心の友時代)



  高校はいわゆる地元の公立の進学校に入学。
  ところが、これがまた全然さえなくて、、、。なんかお勉強がよくできる、要領のいいタイプの子たちとはなぜだかあんまり気があわなくて、、、。心開いた友達は少なかったなー。高校では硬式テニスをやろうと思ってたのに、、、それもどこへやら。うー、思い出しただけでもつまんない。

  でも、そんな私の心の支えは恋人であるピー助君。彼との出会いは小学校5年の夏。クラスメートがクラスのペットとして雄のひよこ9羽と雌1羽買ってきたの。でもほどなく夏休み。欲しい人がつれて帰ってめんどうをみることに、、、。わたしどうしても欲しかった。当時めちゃくちゃじゃんけん弱かったのに、その時は勝っちゃって、、、家に連れ帰ったものの、、、、親にも言えず、、、、。まー、結果的にはわがまま言って飼うことに。でもね、たかが鶏、されど鶏。若いときは頭がいいの。人間の行動の先を読んですきあらば天下をとろうとしてる。つまりボスになろうと一瞬でも隙をみせると飼い主である人間に攻撃しかけてくるの。図体でかくて2メートルの塀の上をおたけびあげながら威嚇する姿は近所で評判の脅威でした。そのくせ離し飼いにしてても人恋しくて、人の気配のするぬれえんのそばでいつも日向ぼっこ。なぜか玄関もお気に入り。彼の恋人は、軍手、長靴。遠くにみつけては突進していって上にのり、ばたばた。
  おーっと、ピー助君の話になるとながくなる、、、ま、そんなんでたいくつな高校時代、、、家に帰ってピー助君とたわむれるのがわたしの心のやすらぎでした。それでもたまに近所の犬どもにおそわれるんだけど、命がけで守ってましたね。といってもほとんどは自力で犬をまいて逃げ帰ってくるのだけれど、それの手助けを私がする。当時よくピー助君が襲われて助けなきゃ!っというのと突然ピー助君のおよめさんがやってきた!という夢を毎日のようにみてました。
ピー助photo
  
 
赤点事件、、、めぐちんが学生時代一度だけ赤点、、、をとったのは、、、「物理」。まー、いつもの現実逃避で直前まで勉強してなくて、一夜づけでしのぐはずが山がはずれて、、、。みごとに赤点。くやしかっためぐちんは次の試験では勉強して5段階評価「1」から「4」まで引き上げたのでした!、、ってちゃんと勉強しろってね。(笑)。でも今でも物理なんてからっきし頭に残ってません。はい。

 高校2年の時クラスメートのI君が白血病で入院した。励ますためにみんなで手紙を書いた。当時のめぐちんはあんまり男の子とは口をきかなかったからもちろん彼ともしゃべったことがなかったくらいで、、、。でもなんとなく手紙だと抵抗なく励ましの手紙を書けた。しばらくするとI君はクラスメート50人ひとりひとりにメモ帳1枚分づつ返事をくれた。I君はわたしのことを知らないんじゃないかな、、、と思ってドキドキしながら返事をみると、「めぐちんの思いっきり笑った顔みたことありません、今度あった時は思いっきりの笑顔みせてね。」とあった。結局彼は出席日数が足りず留年。それでも学校に一時期復帰した。そしてある日見知らぬ男の子からすれ違いざまに「こんにちわ」と挨拶され、わたしは驚いて愛想なく「こんにちわ」とだけ言ってすれ違った。後になって気がついた。それは副作用で感じが変ってしまっていたI君だった。それがI君と顔をあわせた最後だった。わたしはI君に思いっきりの笑顔みせられなかったのが非情にくやまれた、、、。(泣)。かれは入院中も勉強を続け、最後の試験でも学年一番になったほど、、だけど彼は18歳で亡くなってしまった。今でも彼の笑顔は頭にやきついている。

 母の入院。病状的には大したことはなかったのだけれど、母が手術の為入院。その当時、兄二人はそれぞれ大学に通うため実家を離れていたので、両親と私の3人暮らし。そこに母が入院となれば、家事はわたしに、、、。今思えばそれまでほとんど家事なんて手伝ってなかったことに後悔。それでも切羽つまると人間なんとかやるもので、毎日ご飯とお弁当つくった。電話で母に聞きながら、、、。今じゃ毎日弁当つくるなんて、ぶるぶる。(笑)。母のありがたみ再確認しました。ハイ。

 高校といえば進路。漠然と教師とか福祉とか思ってたけど決め手にかける、、、。そんな時とあるテレビ番組で日本語教師の仕事についての報道がありました。私はこれをみて、これだ!と思ったね。日本語が母国語でない人たちがどうやって言葉を習得していくの興味があるし、その過程をみれるのもやりがいあるし、企業の歯車のひとつにはなりたくない!ってのもあったから。そうと決め手からは志望は「日本語学科」onlyにしぼりました。でもまだまだ数はそんなになくて必然的に大学はしぼられました。

 両親の教育方針は尊敬及び感謝してる。田舎で女の子と言えば「通える大学へ!」という制限がつく場合が多い。またお金がかかるから「一人暮らしはダメ」とか。ところが父は勉強がしたくても兄弟が多く長男だった為高校まででそれより上への進学がゆるされなかった。またそれによって苦労もした。だから勉強したいことを勉強するよう助言。けしてうちは裕福な家庭ではなかったけど、奨学金や親のすねをかじりながら3人とも大学進学、しかもうち2人私立及び理系。そんでもって3人とも各自東京で一人暮らしをするに必要な仕送りをしてもらう、、。もう頭もあがらない、、、。でもおかげで大学生活ではいろんなことを学ぶことができた。感謝!

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