小学生(内気な文化的少女時代)



 めぐちんは小学校に入学。勉強は努力しなくてもできるほうだった、、、、が、しかーし! 通信簿が大っきらい。なぜなら性格に問題あり。授業中とにかく手を上げてさされるのが嫌だったのだ。先生の質問に対する答えはわかるけど、普段手をあげないものだからたまにあげると指される。それが嫌で手をあげない、、、の繰りかえし。かといって、ほとんどみんなが手をあげるのに自分だけあげないのもかっこ悪いので先生が指す人を決めた瞬間すかさずあげる。毎回その点を通信簿に指摘されては両親にしかられるので通信簿を開いてみるのがこわかったなー、成績みるより、、。そのくせ得意の朗読とかは人前で自信たっぷりにやるんだけどね。(笑)

  めぐちんの初恋は小学2年生。さわやかタイプのH村君。当時めぐちんは身長が低いため席順は1番前か2番目。H村君は背が高いので後ろのほう。絶対席が近くなることはなかった、、、。ところが、彼が転校直前の席替えで奇跡がおきた。今思えば先生のいきなはからい?なぜか私が前から4番目になった。そして隣りはH村君。ふたりの身長から妥協できるぎりぎりの接点。彼はまだぬいぐるみの好きな男の子だったけど、いっしょにおしゃべりすると楽しかった。転校後1,2度手紙は書いたけど、、、今ごろどうしているのかな。小さい頃会えなくなってそれっきりなので逆にいい思い出だね。
 小学2年の時、父が入院した。その頃のわたしは「胃潰瘍」という病名をきいていて、子供ながらきっちゃえばおしまい!って思ってました。しかし父の病名は「胃癌」。今でこそ「癌」は早期発見すれば治る病気という認識ですが、、、あの当時世間一般では「癌」=「死」。もちろん手術前は父にさえ病名はふせられてました。親戚はみんな病名のことを知っていて、遠くからお見舞いにきたり、母の勧めで病院を専門のところに変えたりと周りでは大わらわ。ところが父本人は周りの空気を察することなく快適入院ライフ。結局早期発見・早期治療で病気は完治し、今でも健在ですが、、、手術後病名を知らされるまで父は疑いもしなかったそうです。でもそれがかえってよかったのでしょう。

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 わたしが小学生高学年にはいってはやってたドラマが「熱中時代」。北野先生はほんとに私のあこがれ。引っ込み思案な自分がすごく嫌いだった。でも人間性格なんてそう変わるものではなく、誰かにこうぐぐっとよい方向に引っ張っていってほしかった。北野先生のような先生が現れるを心から待ち望んでました。そして6年生の始業式。現れたんですよ!まさにあんな感じ。残念ながら担任にはならなかったけど、、、。そういう先生のあこがれへの気持ちからか当時の私の夢は「僻地の教師」。勉強なんかより、田舎の学校で遊びをとおしてもっともっと学ぶべきことがある気がしてた。
 
小学生の頃は今と違って文化少女でした。幼稚園から始めたピアノは通して続けて、4年からは課外クラブである器楽クラブに所属。MY フルートまで購入し音楽三昧。時間内のクラブでは、縫い物、編物、、、結構暇があれば針や糸をもって創作してました。あー、あと今と違ってとにかく本を読んでたなー。今の私にはそんな文化的な部分は片鱗も残されていない、、、、。
 
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 そうそう、ピアノと言えば、幼心に人間には素質というものが人それぞれだってのを感じました。ピアノは幼馴染の1歳年上のA子ちゃんにさそわれてずっと一緒に続けたの。あとで1歳年下のMみちゃんも加わって。でもね。違うんだよ。素質が。努力とはまた別のところで、、、。
現にわたしはせいぜい絶対音感が身についたくらいだけど、A子ちゃんは高校もピアノ科、大学は国立音大のピアノ科にストレートで合格。器の違いは小学生の私にもわかったよ。Mみちゃんのほうは正直私よりものみこみ遅かった、、、、。でも人間素質も大切だけど努力も大切だね。Mみちゃんもかなり努力をして今ではピアノの先生です。

 我が家のしつけは結構厳しかったなー。朝、食事前後、夜の挨拶はもちろん、テレビや目の前を横切るときは「失礼します」の一言。8時過ぎるとお勉強の時間でそれを過ぎると唯一TVのある居間にいると自分の部屋で勉強しなくちゃいけないような無言の圧力。(笑)。そんでもって9時半前には必ず寝てました。そうそう食事は正座で残さず食べなくちゃいけない、、、好き嫌いはゆるされず、、あの頃はすごい苦痛だったけど、今となっては好き嫌いがなく何でも食べられて両親に感謝!

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