中学生(根暗と卓球時代)



 中学時代は小学時代に引き続き、いわゆる根暗!?
 友人も決して多くはありませんでした。
 もちろん男の子となんて面とむかって話せない、、。
 あの頃の友人たちが今の私をみたら、きっとその変貌ぶりに驚くことでしょう。とにかくおとなしかった。

 中学時代にわたしに自信をあたえた出来事。それは学校の水泳大会。めぐちんはクロールさえ息継ぎができなくて25メートルなんて全然泳げませんでした。それがじゃんけんに負けてなんと平泳ぎの選手に!まー、女の子の特権「○理です」と言えばぬけられたけど、なんかそれは嫌だったの。それから毎日市民プールにかよったよ。最初は5メートルも泳げなかった。それでも毎日友達を変えてはこつこつと。すると1週間後突然15メートルくらい泳げた。そして本番当日にかなりゆっくりだけど初めて25メートル泳ぎきった!この時、
人間やってやれないことはない!と感じました。

 中学では
脱文化少女をめざし、卓球部に入部。幼馴染の管弦学部へのお誘いをことわっての入部はわたしにとっとはかなり冒険。ところが、、、ここでも気の弱さが、、毎月リーグ戦があるのだけど、そりゃもうみんな必死。わたしも心の底では勝ち上がりたいとおもってるのに、あんまり形相変えていどんでくる同級生に気持ちもうせわざと負けたり、、、そんなことしてるうつにほんとにみんなに勝てなくなってビリ争い。ランクが落ち、それが張り出され先生の目のほとんど届かない場所での練習、、。かなり開き直りが必要でした。それでも当時フットワークがよいということで「スネイク」と呼ばれたり「ショートの天才!」なんて言われたことも、、、。

 実はめぐちんの卓球部はよい指導者のもと県大会は毎年優勝。関東はもちろん、全国も!と噂されてたの。でもそれは厳選レギュラー。公式戦には全くだしてもらえませんでした。ところが最後の大会でうちは推薦枠をいっぱいもってたので県西大会のシングルに初出場。いきなりどこかのキャプテンとあたってすでに負け気分。、、、ところが、1セットをとられ、2セットも16対20で私が負けてたの。21本勝負だから絶対絶命!ところがなんとそこから連続5本とって奇跡の大逆転。今まで人から応援される大嫌いだったけど、この時ばかりはみんなの応援に感激!そして3セットもとって、調子づいて、後一人に勝てば県大会出場というところまで、、、あれも忘れられない思い出。


 めぐちんはいっさい塾にはいきませんでした。当時の田舎でも3分の2は塾にいってたなー。勉強は相変わらず要領がよかった。テストの3日前から部活が休みになる。するとわたしが始めるのは勉強計画!この計画をたてるのが好きでねー。でもその計画にさんざん時間をかけて、結局全く実行しない!(笑)そう、つくるの大好き、勉強嫌い。よくテスト当日「昨日勉強した?」「いや、ぜんぜん。」なんて友達とかけひきのようなやりとりがあるけど、ほっんとわたし冗談抜きでやってなかった。でもさすがに全くやらないとやばいってんで1教科1時間ぐらいちょっと見直すわけ。するとそれだけでそこそこ点がとれちゃう。我ながらその要領のよさに感心。でもね、おかげで全く身についてないけど。(笑)

 中学3年の時、同じクラスで近所に女の子なんだけど神経症かなにかでほとんど髪の毛がなくなっちゃって、登校拒否気味の子がいたの。あの当時は今ほど登校拒否なんていなかったし。すると担任にさそってくるようにと言われた。最初は性格的にもあわないし、、嫌だなと思ったんだけど、徐々にこころを開いてくれて、、、話したら気さくで楽しかった。思春期にあれはほんとつらかっただろうなって思う。でも成人式の同窓会ではきれいな黒髪で再会できた。

 めぐちんの母はパート勤務。中学の夏休み、そこから内職を横流ししてもらいました。めぐちんにとって初バイト。もう、そりゃ地道な仕事。プラスチックのキャップが型に4つつながってて、それを専用はさみで切り取るの。チョキンで2.5銭。4個切って1円。しかもたとえ切ってもそのキャップが不良品であればのぞかなくっちゃいけない、、要するに数にはいらない、、、。難しくはないけど肩こるし、、、でもテレビをバックミュージックに頑張った。そしてとうとう初給料で2万相当のカメラ買っちゃいました。あの当時の私にとってはリッチな買い物。お金手にするのって大変って思ったね。

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