めぐちんが日々感じたことをつぶやいてます。
これを読んでなにかつぶやきたくなったら、
どんどん掲示板にかきこんでね。
感想・ご意見こちらへどうぞ!


2人目妊娠
  待望の2人目の妊娠。このことでまたいろいろ考えさせられたことがあった。めぐちんは少なくとも2人は子供を欲しいと思っていた。年齢差はそんなに離れすぎず、、、じつはめぐちんには2人の兄がいて3年づつ学年が離れていてそれくらいかな、、と漠然と思っていた。でも、いざ仕事を復帰して、どんどん課せられる責任と仕事量、、、。もうちょっと免除してもらえるかと思ったけど、このご時世そんな甘えも許されず、、、。とにかく現状から抜け出したくて仕方なくなった。そのためにはきっかけがないと、、、。で、気がついたら早く2人目を望むようになっていた。2人目を欲しかったのは事実だけど、動機が不純といえば不純。でもめぐちんがなにも言わなくても、一人目のときもそうだったけど暗黙の了解のようにK’sもそろそろ2人目ができてもかまわなそうな雰囲気。で、自然にまかせ始めたわけだけど、、、。1人目の時は最初のチャレンジでめでたくめずができた。しかしさすがに2人目も最初のチャレンジで!とはいかなかった。生理が近くなるとどきどきしてきて、、、1日遅れただけでももしかして!なんて思ったり、、、。結局いつものようにやってくるとすんごくがっかりして、、、。「あ〜、これで仕事もさらにまた1ヶ月以上続けなくちゃいけないのね〜」なんて思ってみたり。動機が不純だから?って思ってみたり。結局妊娠したのは3,4回目のチャレンジの時かな? 過ぎてみればすぐだけど、当事者にとっては大問題。わずかな間だけど、不妊治療をしながら妊娠を待つ人の気持ちが少しでも感じることができた。これが年単位で続くのだから非常につらいことだろう。しかもただ待つだけでなくつらい治療も同時並行に行われているわけで、、、。そしてまたまちきれず、、、早いかも、、、その他の妊娠の兆候もないけど、、、また検査薬を試した。やっぱりでない?ところが今までと違ってうっすらとでた!? でも前回の妊娠のときはくっきりはっきりだったので、ちょっと不安も、、、。
  そしてひさびさの検診。ま、問題ないだろうと6週目相当まで待って受診。すると先生が「生理は順調?」ときいてきた。?。なんと小さ目の胎嚢はまだ4週目相当の大きさらしい。先生は「今回は排卵が遅かったかもね。」と一言。でもめぐちんは急に心配になった。なぜならめぐちんの生理は順調で1週間と遅れることはないのだ。ましてや2週間なんて、、、。赤ちゃんの成長が止まっているのでは? 早期の流産は13.3%の確立で結構高い。これは遺伝子の異常がほとんどで、母体を安静にしようがどうしようもない。今回めぐちんを不安にさせたのは、前回のような妊娠の自覚症状がなさすぎることもあった。胸もはらないし、、以前のような食べづわりもない、、、かといって吐きづわりもなくて。しいていえば眠いくらい。それも、夜中何度も起きるめずの相手のせいと言えなくもなく、、、。おなかの子が自分がいるよという合図を発信してる感じが物足りない。次の検診まで2週間、、、この長いことと言ったら。妊娠したという嬉しさをみんなに伝えたいのに、まだまだ言える状況じゃないもどかしさ、、。前回はまだ入籍していなかったのもあって、この時点でみんなに報告してたからなぁ。今まで
                              
」」」」」
夫婦共働き
  昔に比べたら夫婦共働きはだいぶ増えたと思う。でも実際は、母親学級で知り合った人、産院で知り合った人たちのなかで子供が1歳前後で職場復帰した人は身近にいない。共働きではあっても、夫が普通のサラリーマンであったりすればまだまだ気軽に子供のために休めなくて、妻はパート・派遣にならざるをえない場合が多い。いったん退職して子供が落ち着いてから新しく職員として仕事を求めようと思っても、このご時勢年齢なども考慮すると女性にとってはまだまだ仕事を続けるのには環境が整っていないと思う。
  そんななか1年の育児休暇を早めにきりあげ、生後9ヶ月から職場復帰をした。昔から共働きをする意欲があったわけではないけれど、当たり前のように復帰する職場風土、先輩たちの姿をみていつしか自然に共働きを選択するようになった。もちろん夫の理解と協力も得られている。めずが1歳になるまでは育児時間を利用して9時〜4時までで残業もなく、そんなに大変には感じなかった。最初は風邪をひいてばかりだっためずも、3ヶ月もすると熱をださなくなったし、、、。ところが1歳を迎えると同時に残業や残り勤務(夕方5時〜8時)も発生し始めた。とたんにつらくなった。夜の母乳を続けていたせいもあって、わたしが帰るまでは我慢していてもわたしの顔をみたとたん泣き出しおっぱいに吸い付き寝てしまう、、、。仕事してるときはわたしもそっちに集中してるけど、帰り道は毎日心配でダッシュ、、、朝の30分と帰った20分しか起きてるめずに会えなかったり。もちろん残業の時は仕事を早めにきりあげ夫が迎えにいき、ご飯を食べさせ、、、目が離せないめずの相手。夫も大変だ。夫は理解があって協力的、自営業なのでサラリーマンの夫よりは多少の融通が利く。自分はすごくめぐまれているほうなのだと思う。でも、所詮それ以外の頼める人はいなくて、結局わたしと夫でみるしかないのはつらい。自分がこの立場にたつようになって初めて、今よりももっと条件の悪かった時代、同じように自分たちだけで(身近に頼めるじいちゃんやばあちゃんがいない)、夫婦ともに職員として働きながら2人以上の子供を育てた先輩を心から尊敬する。また、片親で援助の得られない状況で子供を育ててきた人も同じく大変だと思う。きっと今のわたしなんかが感じてる何十倍もの苦労をのりこえてきたんだろうなと思う。ほんとうに物理的にどうやってこなしてきたんだろう。
  産休前の職場に戻れなかったから、変わった仕事を覚えなくてはならなかったがままならず、時間内に自分の仕事をこなせなくてもどかしい、、、そんななか、職責(副主任)もやってほしいという話がきた。でもじつはめぐちんはもうすでにいっぱいいっぱいで「職員という地位もいらない、、、職員であるという優遇された給料もいらない、、、今は時間がほしい。残業のないパートになりたい、、」ってそんなことばかり考えてた。仕事をこなせない現実から逃げたいだけなのかな?とも思うけど、、、。このご時世、うちの職場の経営もかなり厳しく職場の人員も減らされていて、、、「あなたは小さい子がいるからパートになってくれ。」と言われるならわかる、、、なんでこの上「職責もやってくれ。」などと言うのか?(間違っても嫌がらせではない・笑) しかもいつ次の子ができるかもしらない自分、、、、もしかしたらもう宿っているかもしれないのに、、、。まあそれが「子育てしている女性も働きつづけられる職場を!」といううちの職場のすばらしい面であるのだろう、、、。その時はその時でまた考えればいいと、、、。でもそういう「権利」のある一方で「義務・責任」というのもついてまわることを実感する。それが逆に重荷に感じる。「パートになって。」と言われるほうがどんなに楽かと、、、。先輩たちが切り開いてきたこの「権利」。わたしが捨て去ることで「やっぱり女性は、、」となってしまうのかな。でもちょっと前まではもうちょっと周囲がフォローできる体制だった。今のぎりぎりの人員では、いろんな免除をしてもらいたくてもそのしわ寄せが他の人に思いっきりいってしまって、甘えるのもつらい、、甘えないのもつらい、、、。(ちなみに今は休日勤務と8時以降の残業は極力ないようにはしてもらっている)。あ、なんだか愚痴みたいになってきてしまった、、、。同じ職場で夫が事務で、妻が看護婦、、、子供はうちと3ヶ月違いという人に会った。おくさまはもう夜勤もこなしているという。そんな日は夫がめんどうみる。労組の役員をしてる夫が団交の時期は妻が勤務を変えめんどうをみる。世の中には頑張ってる人たちがいっぱいいる。逃げ出すことばっかり考えている自分、、、頑張ってるめずに失礼だね。やめるのはいつでもできる。がんばらないとね。でもね、職責をひきうけることが逆にみんなの迷惑になるのでは、、、と思ってしまうのは事実。これはめずがいるから、、、というよりわたしにその力がないという意味で、、、。無理しても頑張ることが後の人のためになるのか、、、それともわたしが無理をしてこなしてしまうことが逆に後の人のためにならないのか、、、なんだか結論が出ず葛藤の日々。二人目ができたらこの立場から逃げられるのに、、、と切望してしまっているのも事実。そうしたらそうしたで、今後また産休をとって続けていくのか、退職してパートになるのか、もしくは退職して転職(夫の仕事を手伝うとか、、)のか、、、専業主婦という選択肢はないけれど、また悩んでしまいそう。どうか、みなさまもこの行く末そっと見守っていてください、、、。


妊娠・出産を体験して、、
  妊娠・出産、、、それはどう頑張っても女性にしか体験できないものである。それは、人間の本能として自然な流れである。そして、めぐちんはやはり女性として生まれてきたからには、、、と当たり前のように、好きな人の子供を産むことと夢見ていた。そして、それは望めば当たり前のように叶うと思っていた。しかし、そこには知られざる難題がいくつもあり、そのことで多くの女性が悩み苦しんでいることを知ることとなった。

  まずは妊娠。結婚するとまずきかれること、、、
  「子供はまだなの?」

  わたしも挨拶代わりに、何の気なしにきいていた。避妊しなければ、子供ができる、、、確かにそうなんだけど、そう簡単なものでもないらしい。めぐちんの場合はそろそろつくろう、、としたらすぐできた。けど、このご時世、いろんな影響により、不妊の女性も男性もすごく増えているらしい。いざ、妊娠したら、今まで知らなかった話がきこえてきた。「○○さんは、不妊治療に通ってようやくできたのよ。」「××さんは、子供ができなくてあきらめたみたい。」そんな話が驚くぐらい身近にあふれているのだ。なかには、夫婦仲良しで子供はいなくてもいい、、という人たちもいる。それはその人たちの考え方でいいと思う。でもそれをまわりが「子供ができない体なんじゃ。」とか非難するのは余計なお世話。そして、心から子供が欲しいと思っていてもなかなかできない人がいる、、その人に「子供はまだなの?」ときくのは拷問に近いと思う。そういうプレッシャーが余計に子供をできにくくしていると思う。よく話題になるのは年賀状の子供の写真。おくるほうは我が子がかわいくて純粋におくるけど、子供ができない人にとってはそういった年賀状がとてもつらい人もいるらしい。

  そして、無事妊娠
  うれしくて周りに報告しまくりたいけど、安定するまではやめておいたほうがいいことを知った。なぜなら、安定するまで妊娠初期は安心できないのだ。
  妊娠反応がでて病院にいくとまずは「胎のう」を確認する。妊娠4週目以降妊娠反応があっても「胎のう」が確認できない場合、すでに子宮外にでてしまっていたり子宮外妊娠の恐れがある。そうすると子宮外妊娠の場合は妊娠継続が不可どころか破裂すると母体も危険になるため早急な処置が必要になる。無事「胎のう」が確認できると、次は妊娠5週中頃から6週の前半に「胎芽」を確認することとなる。これが確認できないと残念ながら死亡していると判断される。その後胎芽の「心拍」を確認する。これが確認できないと、残念ながら胎芽が死亡したと判断される。「心拍」が確認されて一安心したのも束の間、今度は早期の流産の心配がでてくる。いろいろな種類の流産があるけれど、妊娠12週未満の流産は母体側の原因だけでなく、胎児側の原因もあり、原因を推測するのが難しい。つまり本人がどんなに気をつけていても、流産してしまう恐れがあるのだ。これがなんと医学的に13.3%もあるのだ。無事のりこえ、妊娠12週以降22週未満の流産も1.6%あるらしい。妊娠の喜びから一転流産してしまった時の心の傷は相当なものらしい。だから妊娠してもこの時期を過ぎるまで身近な人にしか報告しないほうがよいことを知った。もし妊娠報告後ぷつっと音信が途絶えたら、様子をみておいたほうがいいかもしれない。

  そして安定期にはいり、胎動も感じられるようになると一安心だけど、今度は早産の心配がでてくる。妊娠9ヶ月以降ある程度の大きさになっていれば、生まれてきても保育器で育つことができる。だけど、それ以前になんらかの原因で早産してしまうと、保育器をつかっても生きていくことができない。つまり、心臓もちゃんとうごいていたのに死亡となってしまうのだ、、。この頃には赤ちゃんとの生活が現実化してきているので、この時期の早産はさらにつらいと思われる。

  そして、40週もの長い妊娠期間を終え無事むかえた出産。「案ずるより産むがやすし、、」というけれど、、、場合によっては母子共に命に関わる危険なものである。だから産んだ瞬間はだれでも「五体満足でありさえすれば」と思う。この出産、ほんと予想以上に大変でつらいものでした。世の母、すべてがえらい!と思ってしまうほど。

  無事出産すると次にきかれること、、、
  「おっぱいはでてるの?」
  このさりげない挨拶変りの会話、、、これも場合によっては産婦の神経をさかなでる。まずは乳首の形状で飲ませにくい場合もある。おっぱいがでても赤ちゃんが上手にのめない場合もある。また、母乳で頑張ろうとおもっているのに、どうしてもでなくてミルクになる場合もある。薬をのんでいたりしてあげられない場合もある。なのに一様におっぱいがでて飲ませてあげてるママがいいお母さん。って感じで言うのだ。わたしは今でこそ完全母乳だけど、初期は出も悪く混合だった。泣くたびにおっぱい足りないんじゃない?と言われると、疲れている身にとっては、それ以外で泣いているのかもしれないのに、自分が責められているような気持ちになった。

  ぜひ、みなさん。結婚した女性にやたらと「子供は?」ってきかないでほしい。妊婦さんを暖かく見守ってほしい。そして助けを必要としたら手をかしてほしい。産婦さんにやたらと「おっぱいは?」ってきかないでほしい。妊婦さんも産婦さんも順調なら「きいて、きいて!」っていう話があると思うから、それをたっぷりきいてあげてほしい。それにしても、たかが妊娠・出産、、、でもそれは神秘的でとっても大変な行為であることを実感しました。

  詳しくは、、、新米ママの部屋

マル秘写真
  実はこの「めぐちんの秘密の小部屋」はちょっと前にプロバイダーの変更によりお引越ししました。このHPタイトルは、ま、ある意味うけねらいではあったわけですが、、。このお引越しにより驚くべき事実が発覚したのです!
  HPのお引越しにより、簡単なアクセス解析がおまけについてきました。ある時、ふと思い立ってのぞいてみると、、、。一週間の間の全ページの中でランキングというコーナーがありまして、、、。ふむふむ、やっぱり最近更新してる「ママ関連」のページが多いねぇ〜。なんて順を追っていったら気がついた、、、。10位以内の「水着photo」っていったい!? 開いてい見ると、あ〜確かに、、、「My room」の小学生のページで10歳当時のphotoとして、うけねらいの当時のめぐちんの水着写真のページでした。、、、ちょっとまて。ここにたどりつくには、トップページ→My room→小学生→10歳photo、、、という過程を経ないとたどりつかないはず、、なのに、その途中のページはランキングにはいっていないではないですか!? これはいったい? 気になりだして、ちょくちょくチェックすると、1日7,8件このページへのアクセスが確実にある、、、もしかしてどっかにこのページがさらされている?? 
  そして、先日とあるアクセス解析つき無料カウンターをゲットしてさらに調べてみました。その水着ぺ〜ジに直カウンターをしかけてみたのです。わたしはどっか特定のページからリンクでもはられているのかと予想してました。、、、ところが解析結果「yahoo」からやってきてるではないですか。どういうこと? そこでyahooのキーワード検索してみたら、、、笑えた。なんとわたしがうけねらいで書いたコメントにひっかかっていたわけですね。

  以下抜粋。
 
   おー、めぐちんのマル秘写真公開!
    地元の大洗い海岸で撮影したスクール水着写真。
    でもここ岩が多くて結構波にもまれる傷だらけになったな〜。

  
「マル秘写真 水着」のキーワードでなんと天下のyahooでこのページが一番上にでてくるではないですか? しかもその他サイト、Google、biglobe、so-net、、などからも同様に飛んできていたのでした、、、。
  期待いっぱいでやってきた男性諸君、、、ごめんよ〜〜。期待はずれで、、、。(笑)。よりによって子供の水着写真なんて、、でも、そんなキーワード検索でいやらしいページ探しちゃだめよん。しかも時間帯も休日のひるまっから。
  あ〜、でもどっかにさらしものにされてるわけじゃなくてよかった。(笑)。おもしろいからこのままにしておこう! まるでごきぶりホイホイをしかけてる気分。わたしって性格悪い!?


ご報告
  HPの読者のみなさま、、、実はご報告があります。それは、このHPでいろんな面をさらけだしてるようで、なぜかふれられていなかった、、、そうめぐちんのプライベートなこと。

  
実はめぐちんにはつきあって7年半以上になる彼氏がいます!
0(^ ^0) (0^ ^)0キャア キャア 0(^ ^0) (0^ ^)0キャア キャア

  ま、以前はけっこう人にのろけ話をしていた時期もあったのですが、、、なにせ相手は4歳年上、、、しかもつきあいが長くなるにつれ、会うたび会うたび、会う人会う人、「まだ結婚しないの? 遅すぎた春になるよ、、、。」と言われた回数数知れず、、、いつしかあまり公言しなくなっていったのです。(たとえ人に秘密主義と言われようと、、、 (~ヘ~;)
  ひとはひと、、、とマイペースできたわたしたち、、、。そりゃつきあいも長ければ山あり谷あり、いろんなことがありました。でも、やっぱり離れることはなかった不思議な縁。(っていうかわたしのほうが彼にほれてて離れなかった。;^_^A)

  
そしてとうとう近々入籍の運びとなりました!

  めぐちん28歳(今年の誕生日で29歳)、彼が33歳(4月に誕生日すみ)。田舎からみればいき遅れ?の部類なんだろうけれど、この都会、この時代、こんなものかと。
  もともと大々的な披露宴などはするつもりもなかったので、ま、その気になればいつでも、、、ってな感じでここまでやってきました。ま、ほかにもいろんな事情はあったのですが、、。┐('〜`;)┌
  だからお世話になったみなさんを披露宴にお招きすることができません。m(__)mペコ。 その辺はご理解を!

  そして報告することがもう一つ、、、。

  
実はめぐちん妊娠中!


  言っても信じてもらえないかもしれませんが、これほんと。「できちゃった結婚」ではありません。「できたから結婚」です。実はわたし前々からいろんな話のはしはし現れていたと思うのですが、、、自分の子供を生み育てることが夢だったのです。いろんなやりたいことはあるけれど、こればっかりは時期というものがあるからタイミングをのがすと後悔してしまう、、、という思いが強くありました。彼とは一応去年のわたしの誕生日には結婚を前提に、、、というのは確認していたのですが、そろそろ子供を!と話し合ったのがつい先日、、、なんと1回目のチャレンジで成功してしまいました。(ほんとふたりとも健康だったのね。と、ビックリw(゜o゜)w オォー)。計算してみれば、早ければなんと今年中にママになってしまうのだ。

  ってなわけで、いろんなことが着々、、、いやマイペースに進行中!

  大好きな卓球、、、しばらくお休みしちゃうのは残念ですが、、、わたしはいつ子育てに専念しても悔いがないよう常に全力投球してきたつもり。なかには卓球三昧で暇だな!って思ってた人もいるかもしれませんが、考えあってのことだったのですよ〜。もちろん、子供を生んだらほどほどに復帰するつもり。彼に協力してもらって、、、もちろんその分彼の自由も確保して、、。まめにつづいた「卓球日記」はしばらくお休みですが、、、、

   
近々「プレママ日記」公開予定!

  なぜHPでこんな重要なことを報告するのか?

  それはみなさんご存知のとおりめぐちんは口べたなのです。そして、自分のことを自ら話すのはあまり好きではないのです。文章のほうが本意を伝えやすい、、、だから、これから会っても面とむかってあんまりつっこまないでくださいね。(~_~;)


  ほほ、もちろん仕事は続けます。病院という職場は女性の多い職場で、その辺にはとっても理解があるのです。産前休暇は予定日の8週(56日)前からとれて、育児休暇も希望すれば産後1年間認められるのです。幸い、普通はつわりのピーク頃なのですが、わたしの症状といえば一日中眠いくらい、、、なんとかのりこえられそうです。

  それでは、長々とのろけ話?をきいていただきありがとうございました。直接ご報告しなくってすみません。感想は掲示板に書いてくれると嬉しいな。
      
  それでは、今後とも「めぐちんの秘密の小部屋」、新「プレママの部屋」ともどもよろしくお願いします。             
                        平成14年5月6

祝 HP1周年記念

パソコンの知識のないめぐちんがHPを開設したのが2001.1.30で、無事1周年を迎えました! 一度だけトップページが見知らぬ女の子の顔写真に書きかえられた以外は、妨害にもあわず順調。カウンターも12,000を超えたから、月平均1,000件遊びにきてくれる人がいるってことで、感謝、感謝! 期待にこたえられてるかはおいといて、、、。

  わたしがパソコンに初めて出合ったのは、8年ぐらい前かな? 時代の流れでわたしの大学でも「情報処理」なる科目が創設されました。でも、その時はまだ「一太郎」。結局ワープロとしての機能ぐらいでしたね。その翌年、「ウィンドウズ」も導入されました。それで、「ワード」と「LOTUS」を学んだんだけど、基本も基本のみ。なのに、就職活動の履歴書で得意科目「情報処理!」ってかいてしまっもんだから、面接でけっこうつっこまれて、、、職場でも「パソコン得意なんだって!」っと言われ、あせる、、。

  そして、働きだしてから知人よりお古のパソコンをゲット。あの頃は全盛を誇っていた一体型 FMV-DESK POWER。インターネットとの出会い。まあ、最初はメールフレンドでも、、、、とそういうサイトの自己紹介文をのせたら、当時まだまだ女性のネット人口は少なくて、大量に返事がきましたね。(笑)。最初は必死に返事書いたけど、しだいにとりとめのないメールにあきてしまって自然消滅。
  ん〜、メールにもあきた頃、「インターネット あるじゃん」(現 ISIZE)で、卓球・柔道仲間を求める、、、という行動を起こしてみた。残念ながら柔道の反応はなかったけど、卓球はあっというまに人が集まって、現在でも続く卓球サークルが始まったのです。ほんとだったら職場も住んでる場所も異なり、出会うはずもなかった人がネットを通して出会う、、、。すんごく不思議。でもってそのメンバーのなかで結婚して今は子供までいるのだから、、、。
  それと、メールっていうのも不思議。ネット上で昔の同級生と偶然出合ったりする。当時はそんな仲よかったわけじゃないのに、ネット上で再会しメールのやりとりなんかすると、まるで昔から友達のように話せたりする。職場の人とも、職場を離れたメールだと心をわって本音トークができたり。遠くに引っ越した友人も、手紙だとおっくうで疎遠になりがちなのに、メールだと気軽に近況を知らせあえる。
  そうそう、以前職場の医療用COMはカナ入力限定だったんですよ。で、部屋に帰ってくるとローマ字入力、、気がつけば両刀づかい、、そんでもって今では入力の速さでは結構自信あります。ゲーセンにあるブラインドタッチゲーム?(正式名忘れた)は最後までクリアーしました!
  そして、インターネットサーフィンにもあきた頃、自分のHPももちたいなって思うようになった。でもとてもHTMLを学ぶ気力はない、、、。ってことで、知識がなくてもHPがつくれるHPビルダーをゲット。作成にかかる。文書を考えるのも入力するのも苦痛じゃないのであっという間。でも、こんな自己満足HPに人がきてくれるのか、、、と心配してました。でも、そこそこきてくれるの嬉しくなって、また更新。今の卓球サークルメンバーでわたしのHPから興味をもってくれた人もいるし、いろんな人と人がつながっていったりするのをみるのも楽しい。
HPに遊びにきてくれたことがある人はわざわざ自己紹介しなくても、おおまかなところはわかってもらってるのでそれが楽チンかな。自己アピールは苦手なもので、、、。(笑)
  今は職場では主にエクセルを多用し、家では家計簿ソフト、宛名印刷、年賀状作成、名簿管理、、、ってな感じで有効に使っているような使っていないような、、、。
  結局、ウィルスに感染したこともなく、ネットで恐いめにあったこともなく楽しいインターネットライフ、HP作成をしてます。
  こんなめぐちんのHPにもっとこんなのがあったらいいのに! みたいなアドバイスがあったら、ぜひぜひ掲示板に書いてくださいね。そして、変ることなくめぐちん・HPともどもよろしく!


在日米軍基地

  先日機会があり沖縄にいってきました。9月にアメリカテロがあり、終息しつつある11月末。そこには、基地があるからテロにまきこまれるかも、、、と修学旅行客等のキャンセルが相次ぎ、大打撃を受けた沖縄がありました。わたしのいった名護という地域だけでも、すでに15万人のキャンセルと7億の損害。ま、今回の発端はテロなわけですが、そもそもどうしていまだに日本に米軍の基地があるのでしょう。いま、米軍の基地があったアジアの国々は平和を求め次々とおいやっています。そんな国々へアメリカが基地を置いておくときにはもちろんアメリカがお金を支払っています。なのに日本は米軍滞在費用を思いやり予算として、逆にお金を払ってさらに基地も提供してるのです。2000年度は日本の軍事費年間450.6億ドル。それだけあれば今の日本をどれだけ救えるのでしょう。日本は基地にほんとにまもられているのでしょうか? それどころか今回沖縄は基地があることで、ただでさえ失業率が高いのに追いうちをかけられています。
  わたしは大学時代八王子にすんでいて、福生基地はわりと近くでした。英語好きな友人にさそわれ、基地内の米軍家族の家にホームスティしました。りっぱな一戸建てで優雅な暮らし。今思えばあれは日本の税金だったんだなって。その家族は日本に軍人としてやってきてお金をかせいで商売を始め失敗し、またお金をかせぐためにまた軍人に戻ったという噂をききました。彼らにとってはそういう場所なのです。
  沖縄では米兵による悲惨な事件が毎年おきています。居住地の周りには必ず芝生が植えられているのですが、それには心理学的に訳があるそうです。一つは荒れる米兵の心を静めるため。もう一つはその芝生を手入れするとお金をもらえるらしいのですが、そういう仕事を与えることで、基地の外=日本へ意識がいかないように、、。
  沖縄は同じ日本だけど、多くの人は沖縄の苦しみをしょせん人事のように無関心。税金でどんどん生活が苦しくなっているけど、アメリカへの思いやり予算や基地への出費に無関心。なにか間違ってる気がする、、、そういうわたしも日々の生活の中では自分の身近なこと、そして目の前のことしか考えられない。声をあげたり、行動することはできてない、、、。
 

電話

   最近電車にのれば、みんなが携帯メールをうってる。職場の親世代も子供に教わり意味のないメールが送られれてくるのを楽しみにしてる。(あ、でもメールで親子のコミュニケーションをはかれてもいるな)。人が集まればまるで大人のおもちゃだね。着メロやおもしろメールを自慢しあってる。かくいうわたしは、独り暮らしで電話と留守電があれば全然不自由しなくって、携帯はもったことはありません。
  それにしても電話って不思議。今だに遠く離れた人が見えない電波を通してまるですぐそばにいるみたいに瞬時に話せるその理由を理解できない、、、。独り暮らしの長い私は、人ってやっぱり誰ともしゃべらないでいるとバランスくずれることを実感してる。わたしはあんまり大勢でずっといるのは疲れるし、独りで過ごす時間も嫌いじゃない。でも、休日ず〜っとだれとも話さないでいると、知らないうちにストレスがたまる。心のバランスも崩れる。でも、そんな時誰かと会えなくても電話で話すだけで心が救われる。
以前彼とちょっとした遠距離だった時は電話は魔法のようだった。
  そうそう、最近は携帯では出会い系サイトというのがあるらしい。携帯もってない私はよく知らないけど想像はつく。以前は伝言ダイヤルというのがはやったことがある。
わたしも昔さみしかった時ふとかけたことがある。(ことわっておくけれど、今に残ってるような援助目的のようなものとは異なる)。その頃はパソコン通信も全然メジャー化してない頃。そこで、伝言という録音機能をつかって、伝言友達(今でいうメル友)と声の伝言でやりとりをするわけです。実際会ったりとかは恐いのでしなかったけど、たわいのないやりとり、、。今だったらそんな意味の無いことする気もおきないけど、人間さみしいとなにかにすがりたくなるんだろうな。最近の出会い系とかメル友(ちょっと前ならベル友)にはまるのはみんなさびしいんだよね。でもそれがあまりに一般化したり低年齢化とかしていろんな事件もおきてるけど、、、。
  わたしは携帯をもっていないと言ったけど、それはなくても困らないから。よく携帯もたない人は「束縛されてるようで嫌」っていう人が多いけどそこまでではない。でも自宅に電話があるのに、わざわざ携帯にかけてくるということはわたしが外出中だから、、、ってことで、、、わたしは外じゃゆっくり話せないたちだから携帯持ってもあんまり意味ない。そして遅ればせながらPHSを持つようになったのは1年前。確かに外出先での待ち合わせにはほんと便利だね。ちなみにわたしのPHSは着信専用(3箇所のみかけられる)。で、基本料金\680ぽっきり。こっちからはかけないわけだからこれっきりならいいかなって持ち始めました。でも今時小学生でももっといいやつもってるけどね。もちろんこちらからかける時は公衆電話。以前は公衆電話ってかけたい時は混んでてかけられない!なんてよくあったけど、最近じゃどこでも空いてます(笑)。もらったテレカとかで通話できちゃうし。なんでみんな高い通話料はらってわざわざ携帯で電話しまくって、意味の無いようなことをメールしまくってるんだろう?! しかも長いメールは疲れないの? パソコンでかけば簡単なのに!? でもわたしはそういう人たちをみてさみしいんだね。ってつい思っちゃう。常に誰かとつながっていたいんだな、、って。それと、携帯だとみんなすぐ番号を教えあうのが不思議!? 部屋の電話や住所どだとみんな慎重になるけど、、、。携帯番号交換はすぐ始まる。そういう意味でも人と人がつながりやすくなって人にとってもよいことなのかな?
 そうそう、それと携帯やナンバーディスプレイによって受信者に選択権がもてるようになったのも最近の変化だね。わたしも迷惑キャッチ電話はナンバーディスプレイにより、受話器をとる前に構えてでたりできるので不快な思いがすごく少なくなりました。その一方で電話をかけても相手にとる前にわたしとわかり受診拒否されるおそれもあるわけど、、、これはこれでシビアだね。
  電話からポケベル、PHS、携帯へと進化がめざましい。携帯にデジカメついてどうする?! なんて思ってしまうわたしは時代遅れなのかもしれないけれど、ま、便利になることはよいことだと思う。電話の進化がいい意味で人の心のすきまをうめられるのならいいけれど、、、あまりに人のプライベートに割り込むような存在になったりよく知らない人同士が安易に会ったりすることがないように祈る。


結婚・子育て

  めぐちんの子供のころからの夢は結婚して子供を産んで家庭をきづいていくこと。結婚が夢なんていうと結婚式や花嫁姿にあこがれる女の子を想像されてしまいそうだけどそれとは全然ちがう。テーマは「家庭」。自分が生まれ育つ家庭は選べない、、、でもわたしのように高校卒業と同時に実家を離れたものにとっては、自分が結婚してきづく家庭は生まれ育った家庭よりもより多くの時間を費やすものであり、どういう家庭にするかは自分しだい、選べるもの。そしてその中で愛する人とのあいだにできた子供を育てる、、あ〜、あこがれる。といっても幼い頃は自分に彼氏ができるなんて思ってなかったから、年頃になったらお見合いした男性といっしょになるんだろうななんて漠然と思っていたりもした。わたしは幼い頃から恋愛ドラマよりホームドラマ、大家族や五つ子ちゃんの子育てドキュメント、もとより出産ドキュメントなんかにかじりついていた。それくらい執着があるのだ。別に自分の生まれ育った家庭に不満があったわけではない。そこには見習いたい面もあり反面教師である面もある。
  わたしの家庭ではけっこう礼儀等のしつけには厳しかった。当時はすごく嫌だったけど、今ではその時身についたものは自然にできる。その一方で自主性は尊重してくれて、結構ひとりで東京までミュージカルをみにいったり、子供だけで電車で田舎にいかせたり、、そういう面での束縛はなかったな。大学進学も「やりたいことを学べ」と独り暮らしもいとわず援助してくれた。こうして今のわたしがあるわけで、この点では見習いたい。
  その一方で子供心に嫌だったのは、両親が「お父さんのような人とは結婚するな」「お母さんのような人とは結婚するな」と冗談まじりでいうこと。わたしはどうせなら「お父さんのこんなところがりっぱ」「お母さんのこんなとこにほれた」そんな言葉をきいて育ちたかった。あとは昔は家庭の事情で進学がゆるされなかった体験からどこか学歴を奨励するような感じがあったこと。わたしは学歴なんかより、なにか人よりひいでるものや好きなことがあるなら職人や収入が少なくても特殊な専門家になるほうがずっといいと思ってた。
  ま、話はそれて理想の家庭になっちゃったけど、、、。こんな結婚への理想、子供をできるならたくさん産みたいという夢があったわたしであるが、、、。現在20代後半。26歳頃がピークだったかな。会う人、会う人に結婚は?って言われたの、、、。「そんな話があるならかくさず言うよ!」とすごくうとましかった。田舎では結婚は都会よりも早くうるさく言われる、、、。周りでは「まだまだ結婚より遊んでいたい!」って言ってた人がわたしを追い越し結婚しては子供を産んでいく、、、。な、なんで?! そしてそのピークが過ぎると周りはちょっとつっこんでききたいけど、遠慮してきくのを我慢する雰囲気が伝わってくる。ま、そのほうが楽でいい。世の女性はいくつまでに結婚!っていう風潮は昔よりゆるくなってはいるけれど、でもまだまだ固定観念はある気がする。
  結婚と仕事。以前は子育てを重要視した価値観から結婚と同時に仕事をやめ、子育てが落ち着いたらパート、、、という漠然とした一般的イメージでいた。だから、就職活動の「結婚したらどうしますか?」の質問に「続けます」と答えるのが心苦しかったりした。でも、女性が大半をしめる病院に就職し、価値観が変った。他の会社に比べたら、子育てにすごく理解がある。ほとんどが共働き。男性職員も「今日はお迎えの日」と帰って行くのをみんな暖かく見送る。産休・育休、子育てに関しては有休の時間割使用、、、。もちろんこんな環境がととのう前から職場の先輩達はりっぱに子育てと仕事を両立させてきてる。そんな姿に刺激を受けた。仕事で得られる充実感、人とのまじわり、、子育てしながらも続けたいと思うようになった。わたしは子供の頃ひっこみ思案で人づきあいになれるのにすごく時間がかかった。子供を保育園に預けることは、集団の中で生活すること、いろんな体験ができるといいこともあるんじゃないかと思えてきた。わたしは昔は趣味もなくて、きっとあの状態で仕事をやめ子育てを始めてたら、多分世界はそれだけで息づまってってたんじゃないかな。今は趣味の卓球を子供を産んでも週1とかきめて旦那さんに預けて自分の時間も大切に続けていきたいなとか思うようになった。もちろん、旦那さんの趣味も尊重して、いっしょに過ごさない時間も大切なんじゃないかと思う。もちろんいっしょの時間はその分大切にして、、、。
  ま、こんな夢を目標に社会人になった。とにかくその前に社会でちゃんとやっていけるのか?がその頃は不安材料で、いつか親となるその日にむけてひとつひとつ克服していった。社会人6年目、、かなり自信をつけた。仕事と結婚の両立、PTA活動や近所づきあいとかさらってやってのける自信もついた。じゃ、実際のとこ今のプライベートな問題はどうなのか、、、ま、夢がかなってない時点でなかなか現実は難しい、、、。ちょっと前まではそんな現実に不安になったりいらついたり、、。でも最近ふっきれた。そういう時期がきたら自然にそうなるさ。まだその時期ではない、、ただそれだけ。それより今できることは今やらないと後悔する!をモットーに今できることを精一杯かけぬけてる。もしも、一生シングル、子供を生めない、、、そんなのももしかしたら選択肢のひとつとしてありかな、、なんてまで思うまでに。別に夢をあきらめたとかじゃなくて、こうあらねばならないなんて形はないんじゃないかって。でも、夢がかなったら、きっとHPでプレママ日記、出産日記、子育て日記とかつくってしまいそうな自分、、。(笑)


化粧

  めぐちんはもう20代後半。お肌の曲がり角はとうにきている。でもめぐちんは普段まったく化粧をしない。別にすっぴんに自信があるとか肌に自信があるとかはまったくない。なぜか?!
  他の女性のメイクをみてみんなきれいだなって思う。女性のほとんどはメイクを楽しんでいる。それは全く否定しない。またはそれがマナーだという人もいる。わたしも友人の
結婚式にでる時くらいはメイクする。普段しないからきれいにみえるなって自分でも思う、、、でもその一方で自分に仮面をしているような気持ちにもなる。
  毎日のメイク。めんどくさい、、、そんな気持ちもなきにしもあらず。でもこれにはわたしのこだわりもある。なぜ女性だけきれいにメイクしないといけないのか?男性は顔を洗って清潔にしていればそれだけで十分なのに、、、なんていうと「きれいになりたいからする! 女性に生まれたからにはちょっとでもきれいでいたい、それが当たり前!」って反論がきそう、、、。でもね、なんできれいでかわいくなくちゃいけないの? もてるから? わたしももうちょっときれいにしておしゃれにしたら、第一印象がよくなってもうちょっともてるようになるかもしれない。でも、メイクしてたら好意をもってくれて、そのままだったら好意をもってくれない、、、そんな外側で判断する人はお断り。たとえわたしがかわいくなくても、わたしの内側(心)をみて近寄ってくれる友達・恋人、、、たとえ少人数でもそんな心で人をみる人とわたしはつきあいたい。
  そして、化粧とならんで女性のかなりの割合で、眉を描いたりしてる。ちなみにめぐちんは今どきいない、そのまんまの眉。これも自慢の眉とかそういうわけじゃない。顔のパーツひとつひとつは個性だと思うんだ。親からもらった。それに、いいも悪いもないんじゃないかって。歳をとってしわやしみができるも当たり前のことじゃないかって。
  きっと、わたしの周りの人もなんでいい歳して化粧しないの?ってききたくてもきけない人もいたのでは? でもあえてきいてくる人もいないし、意外と「え、メークしてないの?」なんて言われることも、、、意外とわかんないものなのかな。
  でも、やっぱり男性が髭をそって職場にいくように、女性がメークしていくことがマナーだ!といいきられると私もちょっと、そうなのかな、、、なんて思ってしまうけど、、、。「受付するなら顔色がよくみえるようファンデーションと口紅するべき」と言われたことも、、、。
   みなさんは、女性のメイクはするべき(マナー)だと思いますか?
  

国際交流

  つい先日、、、「国際交流卓球サークル」という名前につられてひとりでのりこんだ。ちなみにわたしは日本語学科(日本語教育)卒だけど、教わったのは直接法のため英語はろくすっぽしゃべれない、、、。ましてや学校を卒業してはや5年、、、、英語をしゃべる機会もなければ使う機会もない、、、、。だから日本語がどこまで通じるかわかない場所へのりこむことは、ここ最近にないわたしがだしたかなりの勇気。どっちかっていうと交流よりいろんな国の人と卓球できるかも!ってのが本音という不純な動機。
  待ち合わせ場所で待っていると、主催者らしき男性がインド人の男性をつれてやってきた。いきなり、「英語、韓国語、中国語、フランス語の中で何が得意」ときかれる、、、「しいて言えば英語、、」と答えると「じゃあ、どうぞ英語で話してください。」ときたもんだ、、、。しかもそのインド人の彼はまだほとんど日本語がわからない、、、。悲しいかな中学1年レベルの英語を数年ぶりにつかって話す。あ〜、簡単な文も単語も浮かばない〜。「なにで来た?」と言われ「電車って英語で何っていうんだっけ、、、」ってマジであせってみたり、、。
  そして、いざ集合場所に着くと、韓国人、中国人、フランス人、、、等々10人ちょっと。えっ、って日本人はわたしだけ?しかも卓球なら言葉もいらないしなんとかなるや!って思ってたら、「今日は体育館が貸しきれたので、まずはみんなでバレーボール!」ときたもんだ、、、。ちなみにわたしは大きな球の球技はほとんど苦手、、、、。でも不思議、始めてみたらなんか楽しいの。国籍も言葉違うし、しかもわたしにとってみたらみんな今日初めて会った人。年齢は比較的若いもののけっこうばらばら。だけど言葉なんてなくてもみんなですごく楽しめた。上手なことより、みんなで楽しむことがまさに「交流」なんだって、なんかそれを強く実感した。
  続いて今度はバトミントン。これも数年振り、、できるのか?でもねこれも汗だくだくで楽しめた。
  最後に卓球。いっしょに打ってても、身振り、ゼスチャー、顔の表情でなんとなく意思疎通ができる。
  その後はカフェ?のようなところで、みんなで会話。残念ながらわたしの英会話力はあっというまに力つきたけど、日本語を学んでる韓国人の女の子とゆっくり会話してみたり、留学生事情、お国事情をきいてみたり、、ほんのわずかな時間だけどすごくいろんなことを学べた。
  国際交流、、、なんかそんな言葉をきくと、ついつい日本人は構えてしまうけど、、、そうじゃないかも!って思えた。会話だって文法ができなくてもそこそこ通じるし、目をみて思いを伝えればなんとなくわかりあえる、、、日本人だけで固まらず、いろんな国の人と友達になること、それこそりっぱな国際交流だなって思った。でもね、なかなかやっぱりそこまで勇気が出せないんだけどね、私も。
  

「花粉症

 4月といえば、、、「桜」「新学」、、ぽかぽかと胸ふくらむ楽しい季節、、、。なのに、めぐちんはこの季節憂鬱になる。なぜなら、「花粉症」だから、、、。しかも発病は現在のようなブームなるずっと前、、わたしが中学生の時。あ〜、もうかれこれ10年以上のおつきあい。今でこそ、石を投げれば花粉症の人に当たる!というくらい花粉症人口がふえたけど、当時はまだ珍しかった、、、。
  主な症状は、起床後連発されるくしゃみ、ところかまわず流れ落ちるみずっぱな。目とのどのかゆみ。同じ仲間なら言わずともわかってもらえるけれど、花粉症でない人にはわかってもらえない苦しみが2月末からゴールデンウィークまで2カ月ちょっと続く。薬を飲めばくしゃみ・鼻水から多少解消されるけど、その分のどが渇き眠気におそわれる、、、。鼻詰まりがひどくなると、夜眠ることさえできなくなっていく。もう不快きわまりない。
  ある春の日、わたしが花粉症に苦しんでいたら知人が「いや〜大変、春になるとかわいくなくなっちゃう!」なんて憎まれ口をたたいた。すると翌春なんとその人は花粉症発症! くれぐれもまだ発病していない幸せ者は花粉症患者をばかにしてはいけません!花粉症でなくても春先にくしゃみ・みずっぱな・かゆみが2週間以上続いたら発病です。ご愁傷様です。とりあえずいまのとこ完治はいたしません。(な〜む〜)
  わたしの職場でもみる限り半数近く花粉症の気がする。わが耳鼻科も花粉の飛び始めは大混雑。ほんとに年々着実に増えてる。ぱっと見花粉症の人ってわかるから、心の中で同志よ!って思っちゃうのはわたしだけ? 杉の花粉が増えてるのかな〜。ある人が強がって「杉は子孫をふやすために花粉を飛ばしてるのに、人間がかってに吸い込み、鼻をかんで捨ててしまう。杉の繁栄を邪魔してるのに杉に文句を言っている」なんて言っていた。発想の転換だね。でも、いざ花粉症に苦しめられてる時はそんなふうにんは考えられないけど、、、。花粉症の妊婦さんなんてくしゃみで力んだら子供に影響を与えそうで大変そう。
  一番きくのはやっぱりミント系。不思議にすーっと鼻がとおります。ミントの力ですぐれない気分もすっきり。でもなぜか、食べ始めはわたしは激しいくしゃみにおそわれるんですよね。わたしの知人はむせこんでた、、、。刺激がちょっと強い?わたしは、なんとなく今年は薬なしで気合で乗り切ってます。
  これを読んでいる同じ花粉症仲間情報交換しましょう。自己流花粉症対策、お勧め治療法などがありましたらどしどし掲示板へ書き込んでね。


「ダイエット」

  ダイエット、、、、といえば、「食べても太らない体質!」という人でなければ一度は思い立ったことがあるでしょう。太っているということで人間性がかわるわけでもないのに、うまくいかないことを太っているせいにしてしまったり、周りはなんとも思ってないのにコンプレックスをもってしまったり、、、。
  わたしは幼い頃は食が細くてどっちかっていうと細身でした。でも、小学校6年の思春期になると給食で好きなおかずをおかわりせずにはいられないほどになり運動もせずあっというまにぷくぷくに。中学にはいって卓球を始めるとまた元にもどったけど、高校で運動しなくなったらまたぷっくぷく。大学に入って柔道始めたらまた細くなったけど、社会人になって運動しなくなったらあっというまにぽっちゃり。つまり、わたしの場合
体型と運動量は比例!? でも社会人になって、年齢も重ねこれといって周りの目も気にならず「もうちょっとやせたいな、、、と思いつつ、別にいいじゃん!」っていう開き直りもでてきました。
  じゃあ、なぜダイエットを決意したかというと、、、。サイズアップで着れる服がなくなった! 見た目はともかく、健康診断で「中性脂肪・コレステレール」がやばいことになってきた!っていう、切実な理由。
  まあ、思い立ってダイエットなんていってもうまくいった試しなし、、。今回は本腰いれて健康的にやせることを決意。

1、毎日、、できれば朝、晩体重計にのるべし! 微妙な変化は気にするな!

  やっぱりまずは「自分の体のリズムを知ること!」。現実逃避せず、こまめに体重を計ることは自分への戒めになるだけではなく、どれくらい食べるとどれくらい体重が増え、どれくらい運動するとどれくらい体重が減る、、、というのがわかるようになります。そうするとそれにあわせて対策がねれるわけです。でも人間、朝と晩、食前・食後、トイレの前・後ではもちろん体重は違ってくるし、女性であれば一ヶ月で体のリズムがあったりで、結構毎日変化するもの。そんなものに毎日一喜一憂してても意味はありません。グラフにしてながい目でみて、減り傾向か太り傾向かを知り、減るペースが速ければもっとゆっくり。太り傾向であればもうちょっと気をつける。そんな軽い気持ちであればストレスはたまりにくいです。まずは自分の体をよく知りましょう!

2、食事療法だけでも運動療法だけでも難しい! 両方併用するべし!

  カロリー制限や特定の食材を食べつづける食事療法。絶対ストレスたまって長続きしません、、、、。かといってまったくカロリーを気にせず食べたいだけ食べてたら問題外。できるだけ運動でカロリーを消費する、、、。でも、運動だけであと好きなだけ食べたらやっぱりやせません。
  わたしの経験から言えば、とにかく無理せず楽しく!
  食事はできるだけ油ものや間食、デザートを控えめにしてバランスよく食べる。お昼いっぱり食べ過ぎたら、夜はちょっと控えめにする。人間の3大欲求である「食欲」をまったく封じてしまえば楽しみなくなっちゃいます。決して食事は抜かないで油や糖分をちょっとづつ減らす!それだけでもだいぶちがいます。
  その一方で週何回か運動で脂肪を燃やす!
これもなにもマラソン!とか急に始める必要はないのです。第一あぶない。わたしの場合、まずは体操とストレッチ。ちょっとでも毎日続けるのがコツ。それから、週1回だった卓球を2回に増やしてみる。すると徐々に体力も回復し、今度は公園ウォーキング。今日は気分がのってるから公園半周走ってみる、、、そんなのりで、最後には公園大回り2週くらい軽くこなせるようになりました。時間がなければ、駅を一つ手前で降りて歩いて帰る。これも最後には3つ手前の駅から歩いて帰れるほどに! 運動、、、わたしも音痴なのですが、自分の好きな運動なんでもいいんです。楽しくストレス発散しながら運動していればダイエットしてることなんて忘れちゃう。

3、急なダイエットはしない。ゆっくり長い目で!

  やっぱり自分の経験からも周りをみても、急激なダイエットでリバウンドしないことはほとんどありません。無理は絶対反動がきます。高い目標たてすぎると、達成できない失望感やストレスにつながります。無理のない目標をたて、達成できなそうであればそれにあわせこまめに目標を変える。そのことで小さな達成感を味わいながらすすめるほうが楽しいです。
  わたしの場合は1カ月2.0s、週500gを目標に3ヶ月間行いました。まあ、多少達成しなくても目標を甘くしたりして、、、結果的には4ヵ月で7sちょっとやせて、その後ほとんどリバウンドはありません。

4、ダイエット行って、、、

  今回のわたしのダイエットの目標は「健康的にやせる!」。ダイエット前は健康診断で中性脂肪・コレステロールが要治療なほどの値でした、、、でもやっぱり体重と血液のきれいさって比例するんですね、、、。体重が標準以下になったら、血液検査の値も標準値どころか、かなり低くなりました。悪玉コレステロールが減り、善玉コレステロールが増えました。体もすごく軽くなりました。
  最近若い人は「そんなに細いのなんでダイエットしたいの?」と思う人もいます。わたしの周りにもダイエットから拒食気味になってしまったことのある人もいます。体の悩みは人それぞれ。本人にしかわからにコンプレックスもあると思うのですが、わたしは多少太っていても本人が健康であると感じ、健康診断で問題がないのなら無駄にダイエットなんかしなくていいと思います。逆に、自分の健康に過信しないで、健康診断で異常があれば、自覚症状がなくてもきちんと食事に気をつけたり運動するべき!だと思います。



「死

  わたしは物心つく3歳以前に自分にとっての祖父母をすべて亡くしている。だからわたしにとって身近な人の「死」というのはあまり実感はない。ただ、かなり古い記憶で「ある晴れた火葬場で、火葬がすむのをみんなで待っている光景」が焼きついている。なくなった祖父の記憶もその時のお葬式も憶えていないのに、、、。当時のわたしには「死」より「火葬」のほうが衝撃だったのかもしれない、、。
  でも病院で事務として働き始めると、そこにはやはり「死」というものはきってもきれないものがあった、、、。入院医事課で働き出すとお亡くなりになった患者さんを霊安室までつれていくのが仕事のひとつ。ついさっきまで、病気と闘い苦しんでいた患者さんがある一瞬を境に安らかな顔になり、石のように動かなくなり2度と目をあけることもなくなってしまう。はたしてその先に世界はあるのかな〜。一命を争う状況を乗り越え健康をとり戻し元気になって帰っていく人がいる。その一方で長年病気と闘って、こちらも親近感のわいている患者さんと2度と会えなくなることもある。
  最近ではインフォームドコンセントが浸透し、以前のように最後まで本人に病状を隠しつづける事例は減り、正しく病状や今後の方針等を話しあうことが当たり前となりつつある。その中で万が一の場合には、、、出来る限りの延命処置をのぞむか、それともできるだけ無駄な延命処置はさけるほうをのぞむかという選択もある。この選択は徐々に後者を選ぶ患者さんが増えている。
  わたしは必ず病名・予後を告知してもらうつもりだ。いざという時はホスピスのようなところで、自分の生きた証をなんらかの形で残したり、最後にお世話になった人ひとりひとりとお別れをしたりしておだやかに過ごしたい。多少寿命が縮んでもできるだけ、苦痛を和らげる処置を望む。多少長く生きながらえても、毎日苦痛との戦いであれば痛みでなにも手につかないまま貴重な時間が流れていってしまうと思う。でも、もし自分にまだ幼い子供がいたら、、、、全く逆なんだろうな。たとえどんなに苦しくても、子供のために一分一秒でも長くそばいいてあげたい、、、。万が一にでも助かる望みがある方法があれば、リスクが大きかろうと治験であろうとすがってしまうかもしれない、、、。
  「死」といえば、脳死=臓器移植。わたしはドナー登録に特に抵抗はない。死んでしまったらその後に生き返ることはないと思うし、わたしがこの世からいなくなっても、臓器は誰かの命を助け生きつづける。でも、わたしが20歳の頃はまだ臓器提供は法律で認められてはいなくて、「骨髄バンク」のドナー登録がようやく騒がれ始めた頃だった。わたしは20歳になったら骨髄ドナー登録しようと思っていた。型のあった患者さんにちょっと骨髄をわけてあげれば、ひとりの患者さんが救われるのだ。そのために、数日をついやすことはたやすいこと思ってた。ところが、意外なことに身近な人はそろって顔をしかめた。健康な体に傷をつけ、万が一のこともある。必要性はわかるけど、、、がみんなの意見。みんな自分がかわいい、、。これが身近に提供を待つ側の知り合いがいればまた違うのだろうけど、、。
  「死」と言えば自殺。わたしの身近にも自殺未遂をした人がいる。幸い命はとりとめ、家族も本人も今でも幸せに暮らしてる。一歩間違えば自殺未遂した人の人生はそこで終わり、のこされた家族には悲しみと苦しみが残る。自殺を思うなんてよっぽどのことだと思う。でも誰でもみんな笑顔の奥につらいこと、悲しいことをかかえながら生きている。現実から逃げ出したい! ただそれだけでその選択をしてほしくわない。死にたくなくて、生きたいのに病気で助からない人、、そしてその家族がいる。生きられるのに「死」だけは選んでほしくない、、、、。きっといつかいいことあるから、、、。
  それから「死」といえば殺人。相手を憎くても、相手がどんな悪人であろうとだれも相手の命を奪う権利はない、、、。でも、憎しみと憎悪が強くなると、人間当たり前が当たり前でなくなってしまうらしい。どうかその憎しみや憎悪の思い、自分のためにも実行しないでほしい。
  みなさんは普段「死」について考えますか?
  意外と身近にあるものです、、。
  ぜひぜひ、掲示板にご意見を!



子供の頃描いた21世紀と宇宙人

  みなさんはむかし、「21世紀」といったらどんな未来を描いてましたか?

  めぐちんが小学校の頃、まだNTTが日本電信電話公社として国が管理してました。その頃よく夏休みに「未来の電話?」ってな感じの絵のコンクールがあったの覚えてますか?応募すると12色ぐらいの色鉛筆とかサインペンとかがもらえんるですよね。その当時みんなが描いていたのは、「自動車電話」「携帯電話」「テレビ電話」。当時は確かに夢でした。それが今じゃ小学生まで携帯もってる時代、、、。独り暮らしする時に、大金はたいて手にいれたNTTの権利も今や紙くずとなろうとしてる。
嵐のようにポケベル時代は過ぎ去り、そろそろテレビ電話も実用化されようとしてますね。宙を浮いて走る車やロボットのお手伝いマシーンとまではいかないけど、食事はレンジでチン!外食産業・コンビニ大盛況。昔は大企業にしかなかったパソコンが一家に一台当たり前。便利な世の中になったものです。

  ここで、話は飛んで、めぐちんが小学校6年生の時、地元茨城では「科学万博」というのがありました。そりゃ人気のパビリオンは4,5時間待ちなんて当たり前。尋常じゃなかった、、、。その時に21世紀の正月に届けらるという「ポストカプセル」なんていう粋なコーナーがありまして、、、今年21世紀の正月自分宛に届いた手紙を抜粋したいと思います。
いったいわたしはだれでしょう
あなたのお母さんでもお父さんでも(グリコ、もりなが事けんの犯人でも)ありません。

            〜中略〜

おれたちひょうきん族はなつかしいでしょうね。

科学万博大好きっ子へ
 
  あ〜、グリコ森永事件なんてありましたね〜。あと、はがきのすみっこには「ファミリーコンピューター」なんて書いてある。まさか、ゲームもこんな世代交代してしまうなんて、、、。

  それからわたしが中学生だった時10年後の自分にむけてかいた日記を抜粋したいと思います。
10年後の私へ

ノストラダムスの大予言は当たらなかったのですね。
人類の夢であった21世紀、そちらはすごい盛り上がりのことでしょう。

ここでわたしの理想の21世紀
  • リサイクル運動・省エネ・緑の多い世界が常識であることを!(1)
  • 1992年宇宙人の存在を発表され、今は共存していることを!(2)
  • 宇宙の飛行原理により広まった宇宙を!(3)
  • 世界の国民が一つになることを!(4)

  当時のわたしはどっかでノストラダムスの預言を信じてました。湾岸戦争の結末も迎えてなかったし、ニュースでは環境破壊、異常気象なんかがさわがれててどっかで人間の進歩はこのまま進んでいけないのでは、、、って思ってました。だから(1)のようなことも考えてたんですね。
  その一方で、当時「超魔術」や「UFO」「徳川埋蔵金」なんていう、今じゃみんなが鼻で笑うような番組が花ざかり。わたしも、「超魔術」を信じてスプーン曲げにチャレンジしたりしてました。ところが最近ははっきり手品として種明かししたりしてますもんね。Mr,○リック。(2)では「UFO」はその当時一番矢○さんがそのての権威で、特集は欠かさずみてました。この広い世の中きっと宇宙人はいる!と信じて。ある時矢○さんが「1992年にアメリカ大統領が秘密で開発していたUFOの存在を発表する」と宣言してて、それも信じてたんですよ、、、が、結果はご存知の通り。夢見る心もなくなっちゃいました。徳川埋蔵金スペシャルも、毎回毎回「今回はいよいよ発掘か?!」と宣伝しておきながらいつもいつも「残念」で終わり、、、あんなに期待をうらぎられ、悔しい思いをしたのはわたしだけではないはず。
  (3)の宇宙は、思ったほどは漫画の世界のようにはひろまってはいないけれど、もう少しでお金さと体力さえあれば、宇宙旅行も夢ではない時代になりましたね。でも、わたしが宇宙から「地球は青かった!」と思えるのいつの日か、、、、。
 (4)の分野においては、大きな戦争もおきず、表面上は平和ですね。でもさまざまな地域の紛争はあるわけで、、、でも、世界情勢はわたしの苦手な分野でありまして、、、、でも、昔思い描いていた暗い未来「核戦争」「化学兵器」「伝染病」
、、、なんかがとりあえず陰をひそめているのは救いだなって思います。思ったほどは暗くはない!わたしが小学生の頃「北斗の拳」では199×年をあんな冷たい悪が支配する世の中を描いていたけれど、少なくともそこまですさんでいなかった。

  昔描いていた21世紀は、すばらしく発展した未来恐ろしく荒廃した未来の2つがあったのですが、思っていたほどでないにしろ、前者の色合いがつよかったですね〜。ま、いろいろ問題があるのはおいといて、、、。21世紀への変わり目はまたとないおまつり騒ぎになるかと思ってたけれど、これも過ぎてみればあっけなく、、、。それよりも1年前の2000年問題のほうが大騒ぎでしたよね。(笑)

  さて、10年後の2010年を予想してみましょうか。 
 あ、なんか書いてるといいことばっかりになってきた、、、。やっぱ、こんなのが理想かな。なかなかそうはいかないだろうし、最近の発達スピードからは10年後の発達を予想できないけど、、、自分のやりたいことをなにものからも制限されない、そんな世の中ではあってほしいなって思います。
 
  これを読んでいろいろご意見・ご感想あると思いますが、どしどし、掲示板に書き込んでくださいね。

感想・ご意見こちらへどうぞ!